アザリア奇譚紹介
お願い、間違えないで校友会編集委員!
君たちが今ここで名前と作品をとり間違えたら、
小菅君と始めて載る宮沢君の作品はどうなっちゃうの?
時間はまだ残ってる。ここを耐えれば、
プーアじゃない立派な校友会会報ができるんだから!
次回「宮沢君の名前で小菅君の作品が載ってる件について」
アザリアスタンバイ!
宮沢賢治がペンネームを使わない理由に「間違われたくないから」といったとかいってないとか…という話は実は高農時代、校友会会報に小菅健吉と名前が間違って載ってる事件が尾を引いているのでは?(間違われた前歴がなければ「間違われたくない」発言は多分出てこない)と思っています。
こんにちは。Fじゃない方のMです。
イタズラともわざととも言われてますが、仮に勝手に交換されてたらショックですよね。真実は謎ですが。
さて、前回の投稿からしばらくはいいだろうと思っていたら「なぜ君だけ一件だけの投稿なのか。卑怯也。もっと投稿せよ。」とFさんにいわれ、そんな多忙なFさんは絶賛資料と格闘しているので、またもやアザリアと自分たちの話をしにきました。
知る人は知っている「アザリア奇譚」のお話です。
アザリアの展示をやるまでに山あり谷あり、でしたがそもそもなぜ私達がアザリア研究に二人で乗り出したのか…なぜそこまでやる?と不思議な人もおられるかとおもいます。
私だって聞きたい。数年前はこんなことになってるなんて思ってなかった。
…ここに来るまで多くの幸運や不思議な縁に導かれてやってきました。
普通に好きで調べてるだけでは到底ここまでいけないのでは?というか今まで好きなこと調べたりしてもこんなことなかったじゃない?
こんな言い方をすると大変アレというか大丈夫?って言われそうですが
アザリアがー!あいつらがどんどん背中押して奇跡という池に落として
次はこれだ次はこれだって色んなお宝くれるんだものー!!
あの人たち絶対空から見下ろしてこっち見てるよママー!
って感じで今ここまで来てるんですね。
ええもう語り始めれば数時間は費やせる濃い数年間がありますとも。
アザリアについて語ると自然と自分たちの身に起きた奇跡についても
語らずにはいられない!
あまりにそんな体験の多さから「これはまとめておきたい」という気持ちになり二人でここまで2014年から2017年正月までの道のりをほぼ偽らずに書き下ろしたものがあります。
それこそが「アザリア奇譚」!
Fさんが小説風エッセイ、私が漫画担当で二人で本を作りました。
個人出版かつ少数だったので現在はもう在庫はありませんが
私達がアザリアに触れた切欠から二人で大発見したことまで
つまびらかに書きました。
実は研究において「研究史」というのも重要な要素でして
「誰がどんなことをいっていたけど誰がどう調べた結果これこれこうがわかって今ではこれが主流」、みたいなことを理解することも大切なんですね。
ぶっちゃけた話
「みてみてーー!私達ここまで行ってこんなことやってきたのー!
それで今すごいことなってるのーーー!聞いてーーーー!」と
言いたいだけに作ったような本、です。
出だしはこんな漫画がありました。
嘘はついてないんだよ、ほんとだよ。
そして続きにFさんの描いたアザリア奇譚の第一話をのせました。
(※縦書きの物を横書きの形に編集しております。)
ちょっと長いので気をつけてほしいのですが第一話だけでも大変なお話
なんですよ。まじで。
大体これで奇跡の度合いがわかると思う。全編こんな感じ。
Fさんのエッセイは一連の足跡を辿る構成になっているのですが
私の漫画は基本的にオムニバスになっているので
それはまた今後随時紹介していきます。おたのしみに!
アザリア奇譚…それは実行委員会二名が辿ったアザリアを調べる道のり
そこで起きる大きな奇跡、衝撃、出会い、別れ…を
凝縮したほぼノンフィクション奇譚である!
アザリア奇譚
一 誰が為に鐘は響く
「き-たん【奇譚】 珍しい話。不思議な物語。」
常盤 直(トキワ スナオ)はため息をついて、パクン、と携帯を閉じた。
座っている事務椅子がギシギシ耳障りな音を立てる。大学院の文学研究室は歴史がある分、備品はボロかった。
コンコンコン、とノックの音が部屋に響く。
「入っていいよ」
常盤のことばに、ドアが開き、一人の学生が入ってきた。長い髪をひとつに結んだ彼女は、細い目をさらに細くして笑った。
「スナ先輩、おかえりなさい! 私、先輩から送られてくるメール、最初は全部妄想だと思ってたんですよ」
「リエ、それ本気で言ってたらぶつよ」
この後輩高田梨絵(タカダ リエ)は、常盤と同じ創作ゼミの仲間だ。彼女は創作につい
ての話はもちろん、研究の内容や面白い文学ネタ、なんだって話せる仲だ。だから常盤は、梨絵に今回のことをすべて打ち明けていた。
……この奇譚としか言えない出来事のすべてを。
「あ、これですか?」
梨絵が常盤の机の上に置いてある本を手に取った。
薄めだが、しっかりした紙の、大判の記念誌。その表紙には、もはや見慣れた四人の坊主頭の青年の写真が載っている。
そのうちのひとりは、国民的作家の若かりし頃の姿だ。
雨ニモマケズ、春と修羅、注文の多い料理店。クラムボンはかぷかぷ笑って、どんぐりたちが裁判所で踊る、そんな作家の。
「……そう、それ」
窓ガラスの向こうで、木枯らしが褪せた緑の間を吹き抜けていく。
ああ、又三郎だ。あの童話は秋の初めの物語だったけれど、十二月にも又三郎はいるらしい。
この木枯らしと共に、二〇一三年は過ぎてゆく。常盤は目を閉じて、この十か月程を思い返した。
一体何が起こっているのだろう。宮澤賢治を調べたいと思った時には、こんな事態になるとは思ってなかったのに。
常盤が、宮澤賢治に興味を持ったのは必然であり偶然でもあった。
大学で文学を学ぶ事四年、卒業後は大学院への進学が決まっていた。卒論も提出し、突然ぽっかりと時間が空いた卒業式前、いつものようにベッドでごろごろしていた常盤はハッと思いついたのだ。
そうだ、宮澤賢治を勉強しよう、と。
本棚を見やると、子どもの頃から何度も読んでいる『銀河鉄道の夜』の青い背表紙が本の山に埋もれかけている。探せば詩集もあるだろう。そういえば、猫が出てくる幻想的なアニメも見た事がある。
だが、作品は好きでも、宮澤賢治本人の事は全く知らないと言ってもいい。ちょうどいい機会だ、と常盤は賢治の人生を学び始めた。
この天啓にも似た思いつきは常盤を予想以上に虜にした。
「他人のために生きよ」という母の教えを胸に育つ少年は、やがて法華経にのめりこむ。
浄土真宗である父と宗教的に、そして質屋家業への考え方によって対立し、高等学校卒業後しばらくして東京へ家出。法華経信者として宗教の道に生きようとする。
しかし、賢治の理解者であった妹・トシの病気の知らせで花巻へ帰郷。賢治が農学校の教師として安定する一方、トシはあの世へ旅立ってしまう。
残された賢治は自作の詩や童話の中に《死者の行方》を探すようになる。心象スケッチ『春と修羅』やイーハトヴ童話集『注文の多い料理店』を自費出版したのも、この教師時代である。
そして賢治は「本統の百姓」になるために学校を辞めて百姓生活を始める。
だが慣れない体力仕事や無茶な食生活、他者のために自分を犠牲にするような献身によって、もともと強くはなかった身体が蝕まれ、病床につく。
その後、病状の回復と共に石灰肥料の宣伝マンとなるが、そのセールスの途中、東京で倒れる。そのまま帰郷し、療養生活に入る中で、手帳に書いたのが「雨ニモマケズ」である。
結局賢治はその病床から起き上がることはなく、三十七歳の若さで眠りについた。彼が死の直前まで手を加えていたのが、「銀河鉄道の夜」であったという……。
大まかな人生を学んだら、次は『宮沢賢治︱素顔のわが友』や『素顔の宮沢賢治』を読む。
読める物はまだまだあった。まるで大きな山の中で、美しい鉱石を探し集めているような日々だ。
――そうやって段々と「宮澤賢治」という人の輪郭がはっきりしてきた頃、常盤は、《保阪嘉内(ホサカ カナイ)》に出会った。
□ □
「さて。今日、リエに聞いてほしいのは、宮澤賢治とその親友・保阪嘉内の話です。今日はちゃんとプレゼンするから、覚悟してね」
「見りゃわかりますよ」
常盤に呼び出された梨絵は大きく息をついた。大学食堂の机の上には常盤が持ってきた何冊もの賢治研究書が積まれている。
「まず、これを見てほしいんだけど」
そう言って常盤は、大判の本の表紙を指さした。学ランに身を包んだ坊主頭の青年が四人写った白黒の写真だ。
奇妙なのは、それぞれの視線がてんでバラバラの方向を向いていることだった。正面を向いているのは右上の人物だけで、下のふたりはかろうじて体は正面を向いているが顔は傾き、どこか遠くを見つめている。左上の人物に至っては、体ごと横を向いているのだ。
「この正面を向いてるのが、宮澤賢治ですか?」
「そう。それでこの横を向いているのが保阪嘉内。で、右下が河本義行で、左下が小菅健吉。彼等も賢治と嘉内に深く関わってくるよ。
でもまず知ってほしいのは、この写真が撮られた時代と場所だね。この時は大正初期。彼等はみんな二十歳過ぎくらいの学生で、盛岡高等農林学校っていうとこに通ってたんだ」
「学生時代の話なんですか」
「うん。当時の高等学校って、ある程度お金があって学力も高いおちゃんが集まる所だったんだけど、彼等も同じように全国から集まってきたんだ。
そして、文学趣味で意気投合して、同人誌を作る」
「同人誌って、あのコミケとかで売ってるような?」
「うーん、彼らの場合は本当の意味での同人誌。自分達同人だけが読める、機関誌みたいなもんだったみたい。
そこに賢治も嘉内も参加してた……どころか、中心人物だったんだ。その同人誌のタイトルが『アザリア』って言うの。西洋ツツジの花って意味」
「西洋ツツジ……『アザリア』……」
梨絵が無意識に身を乗り出すのを見て、常盤はにやりと笑った。
常盤の話をまとめるとこうだ。
質屋という家業を嫌い、法華経の勉強に目覚めた宮澤賢治が、唯一許された進学先が盛岡高等農林学校だった。
そこで農学を学んでいた賢治は、第二学年に上がったときに、運命的な出会いを果たす。その相手が、保阪嘉内であった。
嘉内は賢治と同じ年だが、賢治より一年遅れて入学してきた新入生だ。歌舞伎と啄木とトルストイを愛するこの青年は、寮の懇親会で自作の芝居「人間のもだえ」を演じた。賢治も「全智の神・ダークネス」役で出演し、「全能の神・アグニ」役の嘉内と親しくなった。
ふたりはやがて、他の仲間たちと共に文芸同人誌を創刊する。それが『アザリア』だ。
美文家の小菅健吉、俳人の河本義行をはじめ、総勢十二名の同人たちは己の青春を自由に歌っていたのである。
しかし、この『アザリア』に書いた文章が危険思想だと捉えられ、嘉内は第二学年の終わりに放校処分になってしまう。
「ええっ、放校って……強制退学?」
広い空間は音がよく響く。お昼近くなり、少しずつ人が増え始めた食堂では、うわずった梨絵の声は人に睨まれるのに十分だった。
「そういうこと。そこからが二人の青春第二部なの」
えっとー、と常盤は本の山の中から一冊を選び出した。その本には、賢治が描いたみみずくの絵が黄金色の箔押しにされている。
「嘉内が退学した後、賢治は嘉内と文通を始めるんだ。その頃の書簡が初めて活字になったのが、この本」
「『宮澤賢治 友への手紙』……」
「嘉内と文通してる間、賢治は今まで以上に法華経に凝り出してさ、嘉内にも日蓮宗への改宗を勧めるようになるの。ほら、ここ」
どうか殊に御熟考の上、どうです、一緒に国柱会に入りませんか。
一緒に正しい日蓮門下にならうではありませんか。諸共に梵天帝釈も来り踏むべき四海同帰の大戒壇を築かうではありませんか。
私が友保阪嘉内、私が友保阪嘉内、我を棄てるな
「『我を棄てるな』って、これ、本当に賢治の書簡ですか」
「こんなとこで嘘ついてどうすんのさ」
常盤はお茶を一口すすった。喋っている間に冷めてしまったお茶は、妙にしぶい味がする。
「そうやって宗教勧誘が続くうちに、嘉内の方も色々あったみたいでね。《銀河の誓い》が破られる日が来ちゃうんだよ」
「《銀河の誓い》?」
「ああ、説明してなかったね。
賢治と嘉内はふたりで岩手山に登ったんだ。で、その時に銀河の下でお互いの理想を語り合って、人々の幸いの為にどこまでも一緒に行こうって誓い合ったらしい。それが銀河の誓い」
本当の所はどんな内容の誓いかは分からないけれどね、と常盤は心の中でつぶやいた。でも賢治の書簡を見る限り、先行研究で推察されている銀河の誓いの内容は的外れではないだろう。
自然豊かな岩手山で、松明も消えた闇の中、彼らはどんな星空を見たのだろうか。
夏の夜の汗ばんだ肌に風を受け、牛乳を流したような銀河の下で誓ったことばは、どれだけ美しかったのだろう……。
湧き上がる空想を振り切るように、常盤は本に目を戻した。
「銀河の誓いは賢治の書簡にもよく出てくるんだけど、だんだんふたりの間で理想がすれ違っていったみたいでさ。大正十年の七月に、上野の帝国図書館で再会した時に、どうやら訣別をしたらしいんだ」
梨絵が驚いて目を見開く。
「えっ、絶交ってことですか!」
「いやいや! 絶交はしてないよ。でも、宗教的訣別っていうのかな……。銀河の誓いが果せなくなったんだろうね、多分。
賢治は、嘉内を自分の理想世界に誘うことに失敗したんだ」
ひんやりとした沈黙が落ちる。
「リエはさ、『銀河鉄道の夜』って読んだことある?」
「はい」梨絵がうなずいた。「ジョバンニが親友のカムパネルラと一緒に銀河を旅する話ですよね」
「それそれ。そのカムパネルラなんだけどさ、嘉内はカムパネルラのモデルではないかって言われてるんだ」
「確かに、カムパネルラはジョバンニを置いてひとりで銀河鉄道を降りてしまいますもんね。うわ、やだ鳥肌立つ!」
梨絵は自分の両腕をさする。そんな様子に常盤は小さく笑った。
「もちろん、数あるモデル論のひとつではあるけど、なんだか、切ないでしょう? その切なさが、面白いんだ」
常盤のことばに、梨絵が長い長いため息をついた。
「……なんか、小説みたいですね。このふたり」
「嘉内の存在が、ほんとに面白いんだよね。どんだけ賢治の人生に影響を与えてるんだって思うわ」
「なんか、」梨絵がじっと常盤を見つめながら言った。「先輩、嘉内に恋してるみたいですね」
「は……?」
「だってめっちゃ目がキラキラしてますよ」
ニヤニヤ笑う梨絵に、常盤はしばらくうーん、と低く唸ると、「そうだなあ」とのろのろ口を開いた。
「恋って言うか……。あの《聖人》ってイメージの強い宮澤賢治が、こんなに執着する相手がいたっていうのにも驚いたし……なにより、賢治の書簡がさあ」
ふう、と息をついて、常盤は『宮澤賢治 友への手紙』に手をのばした。すべすべした表紙に、みみずくの箔押しの感触が心地いい。
「この書簡読んでると、賢治がどれだけ嘉内を必要としてたかっていうか、どんだけ眩しく思ってたかっていうのが伝わってきてさ。
そんな想いって伝染してくるんだよね」
わかるなあ、と言うように梨絵が微笑んで、「あ」と声をあげた。
「そういえば、あの人も最近、宮澤賢治の話をよくするんだよなあ」
「あの人?」
ちょっと待っててください、と言って梨絵がスマホを取り出した。
「あ、やっぱりそうだ」
「誰が賢治の話してるのさ」
「先輩も知ってる人ですよ」
梨絵がにやりと笑って、スマホをかざした。そこには、くっきりとした線と鮮やかな色にあふれたイラストが映し出されている。
「カ・ネ・ム・ラさん!」
金村泉(カネムライズミ)
大学から帰るバスの中、常盤は頭の中でその名前をつぶやいた。
金村は、梨絵の知人だ。とにかく絵がうまくてセンスがいいのだと梨絵が絶賛しながらスマホを見せてきたのを思い出す。
そこに映っていたのは、金村が描いたのだという、山高帽にコートを身に着けた、有名な賢治の写真を模したイラストだった。
くっきりとした線で描かれた賢治は、少し不気味だけどオシャレな飾り枠の中で微笑んでいる。紫がかった青色の背景は、『銀河鉄道の夜』の桔梗の色の空だろうか?
キャラクターデザインも今風ではあるが、柔和な表情と底知れぬ薄暗い雰囲気が宮澤賢治にぴったりだ。
金村と梨絵がどこで出会ったのかはよくわからない。交友関係が広く、誰とでもすぐ仲良くなるのは、梨絵の美点のひとつだ。
梨絵からは、金村は太宰治や中原中也が好きなのだと聞いていたが、宮澤賢治にも興味を持っているのか……。
ガタン、とバスが揺れて、ゆっくりと停車する。駅に到着したのだ。常盤は、賢治や嘉内やアザリアの資料を詰めたバッグを肩にさげ、バスのステップを降りた。
金村のことは、もう頭になかった。
この時、常盤にとって金村は遠い存在であった。
常盤は常盤で、嘉内やアザリアについての資料を漁り、金村は常盤の与り知らぬところでやはりアザリアを調べては絵を描いていた。
それでいい、と常盤は思っていた。
ただ、時折梨絵経由で見せてもらう金村のイラストに、アザリアのものが増えていくのは、うれしかった。
同じ人物達を、自分と同じように深く調べようとしている人がいる。
それを表現している人がいる。
そんな彼女を遠巻きに眺めて、自分もアザリアの絵を描こうかな、と思いながら、常盤は研究の日々を過ごしていた。
□ □ □
ヒュウッ、と細い風が耳元を吹き抜けていく。朝の空気の中で冷え切った頬をギュッと揉んで、常盤は真っ青に晴れた空を仰いだ。
ここはもう、嘉内の故郷である山梨なのだ。
それにしても長距離バスは身体にこたえる。
甲府駅の前で、ぐい、と背伸びをしたら、強い風にあおられて倒れそうになった。八ヶ岳颪だろうか。
さすが、風の又三郎の故郷……。常盤はひとり、科学館行のバス停でニヤリと笑った。
山梨県立科学館は、土地にゆかりのあるテーマを使った独自のプラネタリウム番組をいくつも作っている。
そのうちのひとつが「二人の銀河鉄道~賢治と嘉内の青春~」だ。賢治と嘉内が見上げた星空を再現しながら、彼等の交友について語る内容らしい。
本当ならとうに終了した番組であった。しかしこの年、山梨は国民文化祭の担当だったのだ。演劇や文化事業など、様々な催し物がおこなわれる中、科学館は「二人の銀河鉄道」再上映をするという。
この機を逃したら二度と見られないかもしれない。その想いに突き動かされ、常盤はひとりで十二月の山梨へ訪れた。
結局、大学院での研究テーマも賢治になってしまったし、これも勉強の一環だ。言い訳にひとりでうなずく。
いつの間にかプラネタリウムの上映時間は迫っている。常盤は大慌てでタクシー乗り場へ駆けだした。
弾む息が、白く、跳ねた。
タクシーを降りると、冬枯れの山の匂いが肺いっぱいに入ってくる。常盤は強風で乱れる髪をそのままに、科学館に飛び込んだ。
プラネタリウムはまだ入場が始まっていなかった。入り口のあたりに天文ニュースのフリーペーパーと、いくつかの本が並んでいる。
野尻抱影の本もあるあたり、山梨県ゆかりの天文書コーナーらしい。
幾人かの客が常盤と同じように開場を待っている。上品そうな夫婦もいれば、小学生くらいの男の子を連れた家族もいる。
ここにいる人みんな、これから賢治と嘉内の友情を眺めるのだと思うと、な
んだか不思議な気がした。
「ただいまよりプラネタリウム、開場したします」
折り目正しい男性の声がした。
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう」
星空にやわらかな汽笛の音が響く。
岩手山で焚火の焰がちらちらと揺れた。膝を抱えた青年たちは満天の銀河の下で語り合う。
「二人は同じ時代の、同じ場所の、同じ時間を生きている」ことを。「自分の人生を世のために使いたい」と。
「あの銀河を行く鉄道があったら」ひとりが言う。「さいごはどこへ向かって行こう?」
やがて二人の運命は離れていき、願いをこめた手紙は宙を舞う。
星になった賢治がいる銀河を仰ぎ、嘉内はひとり歌を口ずさんだ。
勿忘草の歌。嘉内が作った保阪家の家庭歌。
――幸せ求めゆく道にはぐれし友よ、今何処……。
投影が終わり、常盤は余韻の中にいた。
ロビーに出ても足元がふわふわしている気がして、常盤はふらつきながら壁に手をついた。賢治と嘉内のことが大好きじゃないとこんな番組は作れないだろう。そう思うと感謝しかない。
記念に、とチラシを探して、常盤は首をひねった。チラシが見当たらないのだ。
「あの、今のプラネタリウムのチラシってないんでしょうか……?」
常盤に尋ねられた職員は、少し困ったように答えた。
「チラシ、ですか。少しお待ちいただけますか」
お願いします、と頭を下げる前に、職員は急ぎ足で去って行った。
ロビーに残っていたプラネタリウムの客たちが、よく晴れた空の下に出て行く。今夜は綺麗な星空になりそうだ。
待ちぼうけていると誰かが小走りでやってきた。先ほどの職員とは違う、小柄な女性だ。
「プラネタリウムのチラシが欲しいのは、あなたですか?」
女性に問われて、常盤は大きくうなずいた。
「倉庫を見てきたんですけど、チラシはもう残ってなくて……。かわりに、ポスターをコピーしてきたんですが、これでもいいですか?」
そう言って女性は綺麗にプリントされたA4サイズのポスターを差し出した。星空を背景に、握手をする賢治と嘉内のシルエットが浮かび上がる、どこか幻想的なポスターだ。
「ありがとうございます!」
常盤があんまり嬉しそうだったからだろうか。女性はふふふ、と優しく笑うと、「賢治と嘉内が好きなんですか?」と言った。
「はい」常盤はまたもや頷いた。「私、大学院で賢治の研究をしてて。嘉内のことも興味があって、ひとりで嘉内ツアーをしてるんです」
そのことばに、女性はますます目を細めた。
「そうなんですか。嘉内のことまで興味を持っているなんて。どちらからお越しですか」
「大阪です」
「まあ、遠いところから!」
ああ、やっぱり嘉内目当てで関西から山梨へやってくる人は珍しいのだろう。常盤はへへ、と苦笑いを浮かべる。
「実は、」女性がポケットから何かを取り出しながら言った。どうやら名刺のようだ。「今のプラネタリウムの番組、私が脚本を書いたんです」
「えっ」
渡された名刺を見ると、確かに、勿忘草の歌と共に流れたエンドロールの脚本家の名前が書いてある。
驚く常盤に追い打ちをかけるように女性は続けた。
「今夜はどちらにお泊りですか」
「に、韮崎です……」
韮崎は嘉内の生まれ育った場所だ。常盤は今夜、そこに宿泊し、次の日に散策するつもりだった。のだが……。
「それなら、嘉内の顕彰団体の代表の方をご紹介しますよ。韮崎の方なので。今から電話してみますね」
「――え?」
□ □ □ □
夜の韮崎駅は人の気配がない静かな駅だった。
バスロータリーにもなっている駅前広場にはサッカーをする青年の像が、ボールを蹴
ろうというポーズのまま固まっていた。
もう暗くて周りの景色は見えないが、晴れたら南アルプスも富士山も見えるらしい。冷たい風の中に、かすかに緑が香るのは山が近いせいだろう。
目的地に到着しホッと一息ついた出た常盤は、ふと空を仰いだ。
満天、というわけにはいかないが、いくつか星がまたたいている。
嘉内も見上げた韮崎の空だ。そう思うと、なんだか胸のあたりがむずむずする。
――その時、携帯電話がポケットの中で震えた。
ぱくん、と開いてみると、見覚えのない番号が表示されている。
「はい、もしもし、常盤です」
電話の向こうから聞こえてきたことばに、常盤は耳を疑った。
「常盤さん? 私、アザリア記念会の洞熊(ホラクマ)と申します。今からお会いしませんか?」
一体何が起こっているのだろう。
常盤は、韮崎地域交流センターの談話スペースで震えていた。
アザリア記念会、という名前は知っていた。
嘉内の故郷・韮崎で、嘉内と賢治を顕彰する団体だ。賢治の嘉内宛書簡を管理している嘉内の息子さんもメンバーで、洞熊さんはそこの事務局長だ。
なんで、その洞熊さんが、ノートパソコンと資料を抱えて、常盤の隣に座っているのか?
その理由は明快だ。科学館の女性が本当に記念会に連絡したのだ。
それを受け、洞熊さんはわざわざ常盤に会いにきてくれたわけだ。
幸運という言葉だけじゃ済まされない光栄さに震えが止まらない。
「これが嘉内の写真でね」
ほら、と洞熊さんがパソコンの画面を見せてくれる。それは今まで見たことない嘉内の写真で、洞熊さんはそれに解説をしながら次々と画像を表示させていく。
頭の中はパニックで、心は興奮で混乱して、常盤は洞熊さんの見せてくれるものに頷き続けていた。口を開くと叫び声が飛び出そうになるからなるべく閉じる。
それでも挙動不審な常盤のことを、隣のテーブル席に座っている高校生たちがチラチラと見てきた。
「そうだ、常盤さん。これ持ってる?」
そう言って洞熊さんはたくさんの資料を取り出した。かつてNHKで放送された嘉内についての番組や、小惑星ホサカカナイの紹介映像のDVD。賢治の書簡のすべての書面が掲載されている記念誌。記念会が発行している広報紙……。
「き、記念誌だけはネットオークションで買いました」
「じゃああげるよ。記念誌は誰か興味ありそうな人にあげていいよ」
「……え?」
ドサドサと渡される資料がどんどん増えていく。手に受け取る重みが信じられず、常盤は呆然と口を開けていた。
そんな常盤に構わず、洞熊さんはチラリと時計を見た。
「あのね常盤さん。僕、そろそろ帰らないといけないんだわ」
「あ、すみません! お忙しいのに……」
頭を下げる常盤に洞熊さんは「それでさ」と続ける。
「常盤さん、明日のご予定は?」
……明日? 常盤は戸惑いながら素直に答えた。
「明日は、その、このへんを散策して、夜行バスで帰るつもりです」
「そうかそうか。じゃあ、朝の十時くらいにホテルに迎えに行くよ」
洞熊さんがあまりにも当たり前のことの様に言うので、常盤は一瞬、自分の耳がおかしくなったのかと思った。
「それって、その、どういう……?」
目に見えてうろたえる常盤に、洞熊さんは首を傾けた。
「案内しますよ。保阪嘉内のゆかりの場所」
□ □ □ □ □
翌日、洞熊さんに銀河鉄道展望公園や花園農村の碑を案内してもらった後、常盤はひとり韮崎を散策することにした。
八ヶ岳からどうっ、と風の塊が吹いて、あっという間に耳が冷たくなる。寒さに負けずひたすら坂道を上った先に嘉内の墓があった。
山の中腹、といったところにあるこの墓地は、嘉内たちが発案して作った村の共同墓地だという。四十歳を超えたばかりの嘉内は、この墓地で眠る二、三番目の人物となった。
透き通る冬の晴れ空の下、村を見下ろせる墓の中で彼は一体何を思うのだろう。常盤は手を合わせながら、そんなことを考えた。
嘉内の墓には、賢治の短歌が刻まれていた。
山を下り、コーヒーを飲みながら一息ついていた頃である。常盤の携帯がブルブルと震えだした。液晶に浮かぶ「洞熊さん」の文字を見て、常盤の背筋がピンと伸びた。
「あ、常盤さん?」
電話越しに洞熊さんのやわらかな声が聞こえてくる。
「あのね、許可が下りたから今からあなたを連れていきますよ」
許可? 連れていく?
常盤の頭の中にハテナマークが飛び交う。
洞熊さんはあっけらかんとつづけた。
「保阪家の許可が下りたんですよ。嘉内の息子さんのね、庸夫(ツネオ)さんにお会いできますよ。車回して来るので待っててください」
通された部屋は、綺麗に片付いたリビングだった。あちこちに銀河鉄道をイメージした小物が飾られていて、なんだかなつかしささえ覚える、落ち着く空間だ。
部屋の真ん中に大きなソファと一人用のソファが二つ、机を挟んで置かれている。その一人用ソファに、保阪庸夫さんはゆったりと座っていた。
「あなたが常盤さんですか。どうも、保阪庸夫です」
ぶわっ、と優しい熱が常盤を包み込む。穏やかな声だ。その一言を聞くだけで人柄が伝わってくるような。その一方で凛とした響きもした。天に向かってまっすぐに立つ杉の木のような。
この小柄な老人が、常盤にはまるで神様に見えた。
「あ、と、常盤直です! 大学院で宮澤賢治の研究をしてます!」
「ほう、宮澤賢治を。あの人は、ふしぎなひとですねえ」
そんなやり取りから会話は始まった。心がふわりふわりと浮きたつ、そわそわする時間が続く。庸夫さんの口から紡がれる嘉内の思い出は、たしかに呼吸していた。生きていた。
こんなものもありますよ、と見せてくれたのは、草色の表紙のスクラップブックだ。
嘉内はこのスクラップブックに、アザリアの友……小菅健吉(コスゲケンキチ)、河本義行(カワモトヨシユキ)、そして宮澤賢治からの手紙を、丁寧に貼っていた。
そしてこの草色の本を病床の枕元に置いていたという。
緊張のせいか、光栄さのせいか、常盤は頭の中に白い光が溜まっていくような気がした。光が膨らんで膨らんで、苦しいくらいだ。
「質問、させてもらったら?」
黙り込んでしまった常盤に洞熊さんが言う。
「えと、あの」常盤は夢の中にいる気持ちで口を開いた。
「月並みな質問ですが……庸夫さんにとって嘉内さんはどんな父親でしたか?」
「ああ、父ですか」
庸夫さんが眼を細めた。
「大好きでしたよ」
その即答に、常盤の頬が熱くなった。
□ □ □ □ □ □
そうして、今に至るわけだ。
改めて、この奇跡的な体験を思い返すと、頭が痛くなる。運がいいとか、そんなレベルじゃない。梨絵が言うように全部自分の妄想だったらいいのに……。
「よかったじゃないですかあ」
《夢のトランク》のクッキーをつまみながら梨絵が笑った。
「勉強不足の状態であんな体験しちゃうと、頭も抱えたくなるってもんだよ。マジで。……それで、リエに相談なんだけど」
常盤は机の上の記念誌を手に取った。洞熊さんから「誰か、興味がある人に渡してくれ」と言われた一冊。
「私は、この本を誰に渡すべきかね?」
わかってるくせに、と言うように梨絵は目を細める。
「先輩は、それを渡したい人がいるんですよね。私は賛成ですよ。多分、あの人はその記念誌を持ってませんし」
やっぱり。
常盤はそっと自分の首筋にてのひらを当てた。
これで、あの人がもうこの記念誌を持っていたら、この話も終わりだと思っ
ていた。だが、幸か不幸か、石は転がり続けている。
常盤は、ふー、と長く息を吐いて、梨絵を見つめた。
「あれだけアザリアに興味がある人なら、これを持っていた方が絶対にいいよね。押付けることになっちゃうけど……」
「私もそう思います」梨絵がキッパリと言った。常盤もう迷うな、と念を押すように。
「だから、会ってください、金村さんに」
それが、常盤が金村に会うことを決めたいきさつであった。
後から考えると、色々と出来すぎている。なんて都合のいい展開だ。でも奇譚としては、まあまあ成立している。
しかも、これは終わりではなかった。紋切型だと言われようとも、この表現を使うしかない。
この時、常盤は知らなかったのだ。
――奇譚は、まだ始まったばかりだということを。
Fさんは常盤さん、Mは金村さん、という偽名になっております。
え?もしかしてあのコントが元ネタかじゃないかって?
そうさ!!!ラーメンズの「銀河鉄道の夜のような夜」さ!!
気づいた君はエクセレントだ!見てない君は早く見て。
(公式配信動画があります)
私のエッセイ漫画のターンは次回とします。お楽しみに!