「アザリアの仲間たち展」2017年7月~9月花巻にて開催予定!

『アザリア』創刊号のはなし

どうも、実行委員会のFの方です。
GW、皆さまいかがお過ごしでしょうか!
私は展示パネル用の文章を書いて書いて寝て書いております!
内容が濃厚すぎるので、ライトにお伝えするにはどうしたらいいか、頭を悩ませております。
はてさてどうなることやら……。


さて、今回は『アザリア』創刊号についておはなししたいとおもいます。

 

100年前の春、『アザリア』の同人が集い、結成されました。
そこではいくつかのルールが定められました。

それは

 

「毎月一回例会を催すこと」
「機関誌を出すこと」

その機関誌『アザリア』の内容は「自由であること」(推定)でした。

 

「自由」とは、ジャンル自由! 詩も短歌も俳句も散文も戯曲もなんでもござれ!
文量自由! 書きたいものを書きたいだけ、読んでもらいたいだけ載せてよし!
そして、内容不問! たとえ思想的なものでも、信仰が反映されたものでも!

 

というのは、学内雑誌『校友会会報』は、思想的なものや政治的なもの等規制される傾向があったからなのです。
しかも当時の『校友会会報』は農業論文や報告がメインであり、文学欄は添え物扱いでした。
なので内容も文量も思うままに書く!ということができなかったようなのです。

その不自由さゆえに自由な文芸同人誌『アザリア』が誕生した、と言ってもいいかもしれませんね。


そうして『アザリア』は、1917(大正6)年7月1日に創刊されました。
(当企画展の開催が7月3日からなのも、「アザリア創刊100年のその日に企画展をやりたい!!」と駄々をこねたからですw
 生憎今年の7月1日は土曜日のため、7月3日からになりましたが…)

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(画像提供:宮沢賢治記念館)


その内容はまさに「自由」な、バラエティに富んだものでした。


これがその目次です!

 

目次
序文 初夏の思ひ出に     流るゝ子
短歌 鮫の浦にて(七首)   時雄
詩  春           流るゝ子
短歌 みふゆのひのき(一二首)    宮澤賢治
短歌 ちゃんがちゃがうまこ(八首) (宮澤賢治
詩  寮の窓にて       しのぶ
短歌 厩舎にて(二首)    し乃ぶ
短歌 春日哀愁篇(一二首)  嘉内
短歌 四首旅日記より(四首) (嘉内)
俳句 若葉の頃(一二句)   緑石
俳句 螢(六句)       潮田ゆたか
■次号予告■
定型俳句 夏の風(五句)   しのぶ
短歌 赤き花(一一首)    しのぶ
短歌 節句のあさ川岸に居て(二首) とき雄
短歌 ある日曜日のあさ(三首)  (とき雄)
短歌 午後(一首)        (とき雄)
短歌 初夏(三首)        流るゝ子
短歌 つれづれに(六首)    (流るゝ子)
短歌 腹たゝしき事(五首)   (流るゝ子)
短歌 月の夜(三首)      (流るゝ子)
短歌 六月草原篇(一〇首)  嘉内
短歌 昨夕(三首)      しのぶ
短歌 述懐(一首)     (しのぶ)
散文 「旅人のはなし」から  賢治


全部で短歌93首、俳句23句、詩2篇、散文1篇、それに序文。
参加者7名に、総ページ数48ページ!!!

 

いやあ、これだけでも彼らの意気込みがビシビシ伝わってきます……。
熱意がすごい……。

 

作品傾向は短歌がメインで、他に俳句(自由律、定型)、詩、散文がありました。
短歌、俳句、詩は主に自然や日常に着眼した内容で、
心象や空想に題材をもとめたものは賢治の散文「「旅人のはなし」から」くらいです。

 

目次を見てもらえばわかると思いますが、「流るゝ子」と「しのぶ」(し乃ぶ)の名前がやけに多いですね。
これはこのふたり……小菅健吉(流るゝ子)と鯉沼忍(しのぶ)が、短歌、詩、定型俳句と広く作品を発表しているからです。
保阪嘉内はこの時短歌のみを発表していますが、合計26首も掲載している多作者でした。
また、散文は賢治のみですが、これ一篇だけで8ページに渡る長い作品です。

 

誰もかれも、「表現をしたい」という熱い思いを爆発させ、
思うさまに青春の言の葉を紡いでいる……。

そんな創刊号ですね。


この時、創刊号序文を書いているのは小菅(流るゝ子)です。
このことから、彼が『アザリア』のリーダー格であったと考えていいでしょう。
美文家であり、『アザリア』発足前から『校友会会報』に作品投稿をしていた小菅が書いた序文「初夏の思ひ出に」を引用しましょう。

 


「消え残る雪未だまだらに彼方此方に散在する中より微風は春意を齎し、

北信は荒漠たる白銀が原を、

南信は桜花の春を告ぐる頃より中津河畔公園の紅梅一二輪、高き芳香に万輪を呼び

――統べて爛漫の桜花、尊き黄金色なせる山吹、質素な卯の花、雨にゆかしき海裳の淡紅〔?〕遠方で眺むべき桃色の花、さては名知らぬ草に至るまで咲き出でゝ、こゝにあはたゞしき杜陵の春は来りぬ、


天下を挙げて花となる北国の春、誠にあはたゞしきものなれども、

そがためにまた、華やかなり、爛漫なり、むしろ澄み渡る月光を受けし桜花など、あくどきまでに濃艶なりとや云はん、

はなやかなりし花も淡白な梨花の、しぼむ頃より、すべてにつけて行く春のあはれな情調を人の心に残す晩春に移りぬ、
青葉の影、日に増して、さても濃艶なりし影も八重桜の一二輪、散り行く葩に云ひ知れぬ淋しさを含みては新緑影濃やかなる間に無限のあはれを止むるなり、


感受的詩人が限りなき涙を流すは、げにや此の晩春より初夏への移り目、はりつめたる琴線の見えざる刺戟にも尚ほ美妙なる音を発する時にあらすや、

 

吾がアザリヤ会はかゝる詩人(敢て吾曹一派を詩人と名つけん)多忙の初夏、

乱れ易く傷みやすき心を育み、現在に対する不平を軽からしめ、自由てう心を積極的に向上せしむべく年来各自の心に、はりつめたる琴線相触れて、

こゝに第一歩を踏み出しぬ。

之より吾等の放浪する処、足跡を印すべきの旅路、前途の行程たるや誠に遠大なるものなり、遠くして而も近きに在る、その到達点や各自の、その心眼に或る何物をかを認めつゝあるにあらず哉。

 

今正に、よは真夜中にして、沈み行く弦月の影あはく、吾が行方を照し、静かに、ながむれば山影に似たる雲の峯、ふるやかに動けども、やがでは、すべてのものを打ち破るべき力強きあらしを含むものに似たり。聊か所感を述べて巻頭に記す、」

 

 

(改行は記事編集者が行いました。原文は是非『宮澤賢治全集』(校本14巻、新校本16巻)をご覧ください!) 

 


ペンネーム通り、流れるような、美しい序文です。

夢も希望も胸いっぱいにふくらませた『アザリア』の誕生。
次の「アザリアとは!」では、創刊号の一週間後のおはなしをしたいと思います。

それでは、皆さまよい日曜日を!

 

 

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