【近況】保阪庸夫さま・志津子さまを見送る品
どうもこんばんは、実行委員会のFの方です。
先日、山梨のアザリア記念会・新村ご夫妻からこのような御品が届きました。
昨年七月にご逝去なさった保阪嘉内のご子息(次男)・保阪庸夫さんと、その前年に旅立たれた奥方様・志津子さんを見送るハンカチでした。
実行委員会のメンバー(※二名)は、それぞれ四年ほど前から『アザリア』について調べ始めました。
その四年の間に、Fは三度、Mは一度、保阪庸夫さんにお会いしています。
Fが初めて庸夫さんにお会いしたのは2013年12月。
その時にはもうご体調を崩されていらしたのに、突然やってきた変な学生のためにわざわざお時間を割いてくださいました。
ゆったりと父・嘉内について語られた、あのあたたかな声は忘れることができません。
Mと共に伺った時は、Mが描いたマンガを開き「こりゃ驚きだねえ」と微笑んでくださいました。
(カメラの加工が変な具合になってしまってすみません;;)
このハンカチを広げた時、山梨でお会いした庸夫さんの姿がぶわっとよみがえりました。
たった三回、されど三回。
その三回がなかったら、私はここまで嘉内を、『アザリア』を、追いかけてはいなかったかもしれません。
そして今、こうして『アザリア』を残し伝えることに、懸命になってはいなかったでしょう。
父が遺した賢治からの手紙たちを受け継いだことで、悩まれたことも多かったという庸夫さん。
ですが、その苦悩の先に編纂された『宮澤賢治 友への手紙』は、彼らの友情を遺し伝える大切な役目を背負った一冊だと思います。
庸夫さんと志津子さんは、とても仲のいいご夫婦だったと伺いました。
ふたりは銀河鉄道の行く先で、どこまでも、ずっと一緒に、いらっしゃるのでしょう。
このハンカチは、辛い涙を優しくぬぐってくれて、懸命に働いた汗を拭いてくれる、いつもそばにいてくれるような品なのだ、と思いました。
まるで庸夫さんと志津子さんご夫妻の姿のような。
そして私たちにとっての庸夫さんそのもののような。
ぎんどろの木の下で愛犬が見送る、山梨の夜空を駆ける銀河鉄道。
おふたりを思い、見送るご家族の愛にあふれた御品をいただき、本当に感謝いたします。