倉吉博物館展示と協賛金決算報告について
皆さまご無沙汰しております。
実行委員会のFの方です!
先日9/30を持ちまして、花巻・宮澤賢治イーハトーブ館における
「宮沢賢治と『アザリア』の仲間たち」展、無事終了と相成りました。
沢山の方にご来場いただけたようで、とても嬉しく思います!
感謝はまた後日しっかり述べさせていただくとして、
今月17日からは鳥取・倉吉博物館にて「黒ぼくの大地に生きた詩人 河本緑石」展に協力させていただく形で、本企画展の一部も展示されます。
28日までの開催です。どうぞよろしくお願いします。
http://www1.city.kurayoshi.lg.jp/hakubutsu/osirase/tenran_itiranh29.html
また、協賛協力をいただいた皆さまへご報告です。
企画展の巡回により、決算報告を決定するのは12月以降になると判断いたしました。
必ずご報告いたしますので、どうかご理解よろしくお願いいたします。・
それでは失礼いたします!
明日は鳥取へ向かい、新資料「大正六年緑石日記」を拝見してまいります!
そのまま搬入もしてきます!!
【重要】パンフレットの訂正箇所
『アザリア』創刊百周年記念誌「宮沢賢治と『アザリア』の仲間たち」において、
数カ所訂正箇所がありました。
p60
× 宮澤明弘 →〇 宮澤明裕
× 椎名裕資 →〇 椎名雄資
大変失礼いたしました。本記事を以て訂正とさせていただきます。
公式チラシ&ポスター完成!
どうも、こんばんは!
実行委員会のFの方です。
企画展開催も間近に迫った本日、公式チラシ&ポスターが完成しました!
こちらです!
「ハロー青春(アザリア)、あの日の君へ」
今回のキャッチコピーです。Mが原案、Fが口出しで決まりました。
準備はほぼほぼできました。
パンフレットも、展示パネルも、私たちに今できる全力を注ぎました。
パンフレットには現在わかっているアザリア全員年表もついてくるぞ!!すごいぞ!!ご興味ある方は是非見に来て、読んでやってください。
それでは、我々は搬入へ行ってきます!
3日(初日)は実行委員ふたりとも在廊しておりますので、よかったらお声かけください~!
【重要】協賛協力者の名前の掲載について
協賛金のご協力をいただいた方のお名前は、
展示パネルおよびパンフレットに掲載させていただくことになっております。
そこで大変急ではありますが、
お名前掲載の〆切を
6/23(金) にさせていただきます。
パネル・パンフレットの制作の事情によるものです。
ご理解いただけますようよろしくお願いいたします。
協賛金のご協力自体は6/23以降も募集しております!
1口もしくは学生3口以上でパンフレットの進呈など、お名前の掲載以外の対応は変わりません。
どうぞよろしくお願いします!!
【近況】企画展準備&調査の東日本行脚
どうも、実行委員会のFの方です。
企画展準備も佳境に入り、ブログの更新がなかなかできませんでした。
というのも、先日5/30~6/7にかけて、実行委員会ズのふたりで、岩手・山梨・栃木・東京での企画展準備&調査の旅に出ていたのです!
なんと、八泊九日の長丁場!
色々な都合を考慮したらこんなことになってしまったのです…。
私たちの無茶な弾丸ツアーに応対してくださった皆様には感謝しかありません。
ということで、軽~く旅レポでもしてみましょうか!
続きを読む洋躑躅会小集第一回と馬鹿旅行
こんばんは!実行委員会のFの方です。
ここ最近私生活も、企画展準備もバタバタバタバタしております~。
先日も東海地方をめぐり、纐纈熊雄さんと村上亀治さんの資料をお借りしてまいりました!
これらの資料は、現物資料として展示予定です。
ふふふ、すごいもの借りてきましたよ~!ご期待ください~!
さて、本日は(だいぶ間が空いてしまいましたが)
『アザリア』創刊から一週間後のおはなしをしたいと思います。
1917(大正6)年7月7日夜、自分達の同人誌が完成した喜びを胸にアザリアメンバーが集いました。
「洋躑躅会小集第一回」と称されたその集まりの様子が『アザリア』第二輯に書かれています。
七月七日夜皆集る、丁度栗の花がまっ白く咲いていゝ香がして来る時だった、われらはおそく来る、早く来た人にあやまらねばならなかった、どうした処で心と心とで参り来った人だちだ、そこにへだつべき何物があらう、終夜語り暮した、ほんとにあの高くそびゆる岩手山の清らかさの様に
会者十名、伊藤、潮田、河本、纐纈、宮沢、鯉沼、保阪、小菅、福永、市村、作品の互選、テーブルスピーチ二、三あり、河本、潮田、小菅三氏のもの高点に入る、会開会後、雫石に旅行する馬鹿者もあった、(『アザリア』第二輯より)
この文章はおそらく保阪が書いたと考えられます。
この高揚感! 青春の喜びに満ち満ちた文章は、いっそまぶしいくらいですね!
この時、高点が入った作品は不明ですが、小菅、河本、潮田にとっては嬉しいことだったでしょう。
「雫石に旅行する馬鹿者」とは、宮沢、保阪、小菅、河本の四人のこと。
彼らは深夜0時15分、盛岡から春木場まで夜を徹して歩きました。
その距離約20キロ! さすが農業青年たち、体力あります。
興奮冷めやらず、友人たちと夜をそぞろ歩くのは、彼らにとって印象深い夜だったのでしょう。
彼らはそれぞれ、この夜の散歩のことを作品にしています。
保阪にいたっては、歩きながら60首以上の短歌を詠んでいました。
合歓の葉の/パット合ふごとし/友の心/まつたく旅を供に思へり、
まつくろに濡れた/街道の流れた火、/踏んで通れば/心がさびしき、
雫石は/田舎の町なれば/あけがたに/徹われらに犬が吠え渡る、
あけがたの/河原に睡るわれらなれば/大空の虹と、百姓が/わらふ(保阪嘉内「馬鹿旅行日記」より 歌稿ノート『我は独り』)
夜のそらにふとあらはれてさびしきは、床屋のみせのだんだらの棒
夜をこめて七ツ森まできたりしに、はやあけぞらに草穂うかべり
河ぶちのまひるゆらげるいしがきの、まどろみに入りてまた鳥なけり
琥珀張るつめたきそらは明ちかく、おほとかげらの雲をひたせり(宮沢賢治「夜のそらにふとあらはれて」より 『アザリア』第二輯)
淋しい月がさしよりて寝しづまる家
河原にね入る人らに朝の虹立つ
山の緑に終夜歩みし夜があくる(河本義行「車のきしり」より 『アザリア』第二輯)
不良少年夜道して歌よむ。
青空と黒くもの見分けつきやらず雲飛ぶ丘の暁の月。
緑こき柳の葉裏風に白々七月の真昼の陽の中に立つ(小菅健吉「不良少年」より 『アザリア』第二輯)
夜通し歩いて、河原で寝入り、明け方の空には虹がかかる……。
この「馬鹿旅行」(命名:保阪嘉内)は、彼らの友情を深くする一夜だったようです。
ちなみに、賢治はこの「馬鹿旅行」の思い出を、後に「秋田街道」という散文作品にしています。
その中には「河本さん」という名前が出てきます。
いつかみんな睡ってゐたのだ。河本さんだけ起きてゐる。冷たい水を渉ってゐる。変に青く堅さうなからだをはだかになって体操をやってゐる。
睡ってゐる人の枕まくらもとに大きな石をどしりどしりと投げつける。安山岩の柱状節理、安山岩の板状節理。水に落ちてはつめたい波を立てうつろな音をあげ、目を覚ました、目を覚ました。低い銀の雲の下で愕おどろいてよろよろしてゐる。それから怒ってゐる。今度はにがわらひをしてゐる。銀色の雲の下。(宮沢賢治「秋田街道」より)
こちらの散文作品もぜひ全文読んでいただきたいです。
(どうでもいいけど、河原で起きた順番は、河本→宮沢→保阪→小菅だと思われます。ということは、苦笑いをしているのは小菅…?)
そして、この「秋田街道」の直筆生原稿なんですが……
実は今年の9月に宮沢賢治記念館で開催される「文芸同人誌『アザリア』100周年記念展」にて、な、なんと! 初公開されるのです!
この記念展では、本物の『アザリア』(小菅本)の公開もされます!
「宮沢賢治と『アザリア』の仲間たち」展とも開催時期が重なってますし、スケジュール次第ではどちらも見れますよ~!
記念展の詳細はこちらから http://www.city.hanamaki.iwate.jp/bunkasports/505/506/p004128.html
会期は9月2日から9月24日までのようですが、
「秋田街道」原稿公開は9月16日から9月24日ですので、ご注意ください。
いやあ、盛り上がってまいりましたね、『アザリア』。
皆さまもぜひ花巻で、彼らの青春のワクワク感に触れてくださいね~♪