「アザリアの仲間たち展」2017年7月~9月花巻にて開催予定!

『アザリア』メンバー集合!


どうも、こんばんは!
実行委員会のFの方です。
先日はツイッターで、前回のフライヤーの記事をたくさんRTしていただき、ありがとうございました!
本ブログは拡散大歓迎ですヾ(*´∀`*)ノ

 


さて、今日は「同人誌『アザリア』とは!」につづく、『アザリア』の紹介です。


『アザリア』が生まれた盛岡高等農林学校は、言うなれば理系の学校です。
そんな中で、どのように『アザリア』が生まれたのでしょう。


中心メンバーのひとり、小菅健吉さんは次のように言っております。


「今日と異なって学生数が少なかったため、相互に接触が多く、文学をやりそうな人も自然と分っていたので、幾人かを中心に何となく集った感じのグループである。
 『校友会会報』の編集をした小菅健吉、『校友会会報』投稿の河本義行、賢治、そして嘉内の四人を中心に文芸愛好者が集った。
 当時、学内にこの他の文学グループはなかった。―略―」(小菅健吉証言)

 

つまり、大々的にメンバー募集をしたのではなく、友人に声をかけて集まったメンバーなのですね。

 

では、どんな友人つながりだったのでしょう?

 

まず賢治と保阪嘉内。
このふたりは先輩後輩関係なのですが、なんと嘉内入学時の学生寮の部屋が同じだったのです。
そこからふたりの熱い友情が始まるのですが、これは機会に……。

この時、学生寮は一室六名。賢治と嘉内、そしてのちのアザリアメンバー・伊藤彰造も同室者でした。
彼はこの時のつながりで『アザリア』に誘われたのでしょう。

 

賢治と同級生の小菅健吉は、学内雑誌『校友会報』の文芸欄の常連投稿者でした。
そこに一学年後輩の河本義行が、自由律俳句を投稿するようになります。

 

この河本がちょっと、いや、かなりスゴイ人なんです。

中学時代から自由律雑誌『層雲』に投句していた俳人で、

俳号は「緑石」(ロクセキ)!
彼は盛岡高等農林学校内でも有名な文武両道な文学青年でした。
そんな河本が、文芸同人誌に誘われないわけがありません。

 

前回の記事を見てもらえばわかると思いますが、
アザリアメンバーの半分ほどが河本の同級生です。
田豊は河本に誘われたのでしょう、自由律俳句をたしなみ、『層雲』にも投句するようになります。
村上亀治は嘉内、潮田、河本(嘉内と入れ替わりで入居)と同じ下宿で、そこから誘われたのでしょう。

ちなみにこの下宿は「鎌田屋」という、盛岡の材木町にあった下宿で、
現在は「同人誌アザリア発祥の地」という説明木札がありました♪
盛岡に行かれる方はチェックチェックです!

 

河本の同級生の福永文三郎は、かつて賢治と同じ寮室でした。

 

「当時、私のクラスの故河本義行氏の俳句は俳人としてすでに一家をなす域に達していて、荻原井泉水流のものでした。
 時折賢治と私は河本氏の作品について彼からその解説をきく、賢治はいつも真剣にその話に聴きいっていたものでした。
 賢治はよく私に「福永さんその辺歩きませんか」といって散歩につれ出した。―略―」(福永文三郎証言)

 

賢治は福永とも仲が良かったようですね!
福永は後に朝鮮(韓国)で働くのですが、その時同じように渡鮮したのが伊藤忠次でした。学生時代から仲が良かったのかな、と思われます。

 

さて、残すは鯉沼忍、纐纈熊雄、中島慶助、市村宏ですね。

 

鯉沼忍……この人について語ろうと思うと記事がいくらあっても足りない(!)というくらい濃い方です。
彼は校内でも有名な弁論上手だったのですが、なんと小菅と同郷! 栃木の人なのです。
そのつながりでしょうか。小菅とは仲が良く、『アザリア』への誘いがあったのでしょうね。

 

そんな鯉沼は、学内雑誌『校友会報』の編集委員でもありました。
その編集仲間が纐纈熊雄です。彼は後に編集委員筆頭になったようです。
後に、この編集委員には小菅、保阪も入って来るので、アザリアメンバーだらけ。
纐纈の参加も決定しました。


纐纈の同級生の中島は、歌人として知られていたようです。
賢治・小菅・河本と、短歌作りのために登山をしたくらいなので、誘われないわけがありません。

 

市村宏は『アザリア』唯一の林学科生。
彼は後々まで仲が良かった嘉内から誘われたのでは、と考えられています。

 


さあ、アザリア同人総勢13名が集まりました!
このうち「伊藤」だけはどちらなのかわかりませんが!!
(私は、二人ともメンバーだったんじゃないかな~と思っております。)

 

彼等はどんな青春を紡いでいくのでしょうか……。

 

次回は『アザリア』創刊についてのあたりをおはなしできたら、と思います。

それでは、また~!

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